
保護猫じじさんを家に迎えてから、知人、友人たちの家で飼っている猫ちゃんや、わんちゃんとの運命的な出逢いの話をよく聞くようになりました。TVでも、ほんとに心温まる出逢いの物語に感動したりします。
思うのです。人と人との出逢いも、動物たちとの出逢いも、親子の出逢いも、通りすがりのまったく見ず知らずの人との、一瞬の何気ない会話であっても、不思議な縁で出逢ってると思うのです。
長い時間を一緒に過ごすだけでなく、たとえ、同じエレベータで一緒になったとしても、まるで目に見えない磁石のように、引き合い、ふれあい、ほんのわずかなほほ笑みや、気づかいの言葉であったり、それだけで、心があったかくなったり、ほっこりしたりするものです。小さな赤ちゃんが、初対面のおばさんに、思わずはにかんで、にっこり笑ってくれたりと、魂と魂が触れ合うような感じがするのです。
お勉強にって、思ってくださって、ありがとう。あなたのお家に縁あって迎えられた〇〇ちゃんたち、それも、ひとつの縁で、出逢うべくして出逢ったご縁だと思うのです。私が小さいころから、祖父から、祖母から(小さなお寺の住職と副住職でしたから)、よく聞いていた・人と人とのご縁も、不思議な縁で結ばれているということを、この年齢になって、つくづく、その通りだと思うのです。
英語学習を再度始めてみて、出逢ったご縁も、目には見えない不思議なご縁に導かれたように感じています。
昔、息子と早朝のお散歩に出かけたとき、突然、こんなことを言い出したのです。「ぼくと、お母さんとは、赤い糸で結ばれてるんだよね。」「どうして、そんな赤い糸のことを知ってるの?」「幼稚園の〇〇先生が、卒業式のとき、これからも先生は、いつも、〇〇君の事を思っているよ。先生と〇〇君には、赤い糸で結ばれてるから。忘れないでねって言ってたの。だからね、お母さんは、どんなに離れていても、僕が学校に行っているときも、僕の事を思っていてくれてるでしょ。だから、僕とお母さんも、赤い糸で結ばれているんだよ」・・・と。
その先生は、特別に、不器用な我が子を、心から思い、心配し、勇気づけてくれるために、見えない赤い糸と言う表現で、息子を励ましそうとしてくれたんだと思います。我が子から、そんな縁の話を聞くなんて思いもしなかったので、心が熱くなりました。そして、「そうだよ、お母さんは、いつも、いつも、〇〇君のことを思ってるから。決して離れることはないんだよ」と、語りかけたのです。
そう、奇跡のようにこの地球上で、出逢えるなんて、私たちは、生かされ、不思議な赤い糸でつながっているのです。
お互いのブログから、励まされ、共感し、感動し、胸が熱くなり、お互いの人生にエールを送ることができる。素敵だと思いませんか?どんな時も、体調が悪くなった時も、ゆうつになったときも、やりきれない想いをトロしたくなった時も、私たちは、繋がっている。あなたは、決して一人ではないのです。
それを伝えたくて、今日の2度目のアップになりました。アップ画像は、子猫の時の、お気に入りの箱で眠ってしまった一人娘のお嬢さんです。では、また。おやすみなさい。
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赤い糸
花おばさんとも、赤い糸で繋がれているといいのですが。。。
我が家は、妻と長男、次男、猫のひなたが赤い糸で繋がれていそうです。
じじちゃん、ジブリにもいましたね。
可愛いんだろうなー。
昨夜も、ひなたのつぼを押してやると、敏感なので
しっぽがぴくぴく反応して、面白かったです。
猫って、癒されますよね。
名前はじじだけれど、ばばではありません。
そして、今の私は、恋愛感情とは全く別次元での、人を大切に思う気持ちで出逢った人たちとは、すべて赤い糸で手繰り寄せられたご縁だと思ってます。
もちろん、kitaさんともですよ。
名前はじじですが、れっきとした女の子です。初めての出逢いの際、わんちゃんのお母さんが、名付け親になり、そのままになってしまいました。苦笑
けれど、今では、彼女は、ちゃんと自分はじじであることを認識し、呼ばれれば、振り返ります。
猫の可愛さは、特別ですよね。ひなたさんも、可愛いですよね。
ご訪問、ならびにコメント、ありがとうございました。
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