
この写真は、彼女が我が家に来て間もない頃の写真です。手のひらにすっぽり包み込めるほどの小さな、小さな命でした。夜になると、親を探し、兄弟を必死で探すその姿に、涙がとまりませんでした。生きものの命は、人間よりとても短いと分かっているけれど、その時のことを思うと、必死でしがみついている彼女を胸に抱き、涙がぼろぼろと頬を伝うことが止まらなかったあの日を、今でも思い出します。
今月初めに、東京に親戚の結婚式に出席するために来ていた妹家族のうちで飼っていたわんちゃんが19才という年齢で、まるで、家族の帰宅を待っていたかのように、帰宅した日に亡くなりました。一緒に暮らし、一緒に成長した思い出を遺し、一人ひとりの腕に抱かれ、最後のお別れをしたことを、メールで教えてくれました。
彼女の名前は、みかんちゃん。みんなが帰ってくるまでは・・・・と必死に生きていよう!という家族のためにその瞬間まで健気に頑張っていた彼女の想いが伝わってくるようでした。
共に暮らした動物も生き物も、もう家族なのです。かけがえのない大切な家族なのです。いずれ、我が家のひとり娘にも寿命がやってきます。まだ、もう少し一緒に暮らせるようにと思って、いろいろ工夫しています。だから、毎日、一瞬、一瞬が、かけがえのない彼女がくれた贈りもののような時間だと思っています。
ペットロス・・という言葉で語られますが、そんな簡単な言葉では言い表せない大切な家族なのです。だからか、よく共に暮らしていた家族の写真を見せて頂く機会があります。偶然となり合わせになった方からも、飼っていたわんちゃんの待ち受けをみせてくださいました。話を終わった時、その方が、聞いてくれて、ありがとうという言葉を残して、病院の予約時間に間に合うように立ち去っていかれました。
想いをどうぞ、一人で抱えないでください。悲しみは、人も動物も、関係なく、悲しいものです。わんわん泣いたっていいのです。急に思い出して、涙してもいいのです。思い出したとき、誰かに聞いてもらってください。時間をかけ、急がず、ゆっくり、ゆっくり、その悲しみを、あるがまま、十分に、身をまかせること・・・・それしか、悲しみからの回復は、ないように思います。どこかの、番組でも、そう話していた方がいらっしゃいました。
いつかは、人にも、生き物にも、その寿命があって、この世でのお別れをする日が必ず、やってきます。だかこそ、愛おしくて、大切で、今、この瞬間を大切に、共に生きていたいとそう思いながら、日々を過ごしています。
共に暮らしてきたその〇〇ちゃんたちも、きっと、”ありがとう。あなたと暮らした日々は、何よりも幸せだったよ”・・・・そんな思いを愛してくれたあなたに伝えたいと思うのです。
そんなことを感じた今日の雨降る5月の午後の花おばさんつぶやきでした。
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大海に住む盲目の亀が百年にただ一度だけ海面に浮かんでくる時に、
たまたま穴の開いた流木が浮いて、その流木の穴に首入れるという仏教の寓話があります。
言わば、めぐり合うことは非常に難しいことの例えです。
このように考えてみると、
血のつながる家族となることは、盲亀浮木のような奇跡の確率です。
生まれてくることは、両親がいます。
両親のそれぞれの両親、4人。時間軸をさかのぼっていくと、
10代を遡ったら自分と同じ血が流れている先祖は1024人。
20代前だと100万人!
そのうちのただのひとりでも欠けたら、自分はいま存在していないです。
「命」を次につないできたから、現在の自分の「命」があります・・・
奇跡的なことのように思えます。
先祖に手を合わせて感謝の心は常に大切にしていきたいです。
盲亀の浮木
そのお話を知っていらしゃるその博識に、びっくりいたしました。今ここに命をつないでいるものとして、
貴重なお話をしてくださって、ありがとうございます。
人と人との出逢いも、ご縁も、たくさんの☆の数ほどの中から、不思議なご縁で出逢っていきます。一生の内、どれだけの方と関れるのか、このブログにおいても、多少のご縁で触れ合う時も、奇跡なんだと思います。
お坊様の説法のような時間、ありがとうござしました。祖父に教えられていた懐かしい時間を思い出しました。足がしびれても、お経の後のお坊様の説法時間がとても好きな子どもでしたので、このようなネットブログで、その機会を頂けたこと、感謝しています。
また、いつでも、気軽にお越しくださいませ。
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