
ずっと続けている大人の為の音読。文学作品から、現代国語として新聞の余談などを、日々声を出して読んでいる。
そんな中で、新聞の余談は、その時々のホットな話題を取り上げていて、なかなか面白いのだ。それに、知らなかった歳時記の呼び名や、読めなかった漢字なども、知る機会にもなり、内容なども面白く、興味深く読んでいる。
現代はネットがあるため、必要な情報は、いつでも検索できるので、もう活字の新聞は摂っていない。だが、それぞれの記者がその時々で感じたニュースや注目している話題についての記載は、なかなかのもので、毎回感心している。
そんな中で、つい昨日知ったことを、本日のブログで取り上げてみた。
何故なら、今一番の関心事は、やはり、新型ウイルスのことだ、身にふりかかる可能性大なコロナ・ウイルスは、拡大する方向へ進んでおり、危機意識を感じている。十分に気を付けて日々暮らしているが、いつ、当事者になるかわからないし、基礎疾患を抱えている我が身にとって、最も気を付けたい注意事項である。

はてさて、そのなるほど~と思ったことわざは、遥か昔に書かれた説話からのことわざである。以下、新聞余談をそのまま張り付けている。
【紀元前1世紀の中国で編まれた説話集「説苑(ぜいえん)」には「福重ねて至らず、禍(わざわい)必ず重ねて来たるものなり」の言葉がある。幸運はたて続けにやって来るものでなく、不運な出来事は必ず重なって起こるものだという。】
【英語にも「独りでやって来る災厄(さいやく)は、良い災厄である」、つまり災厄は重なるものだという警句がある。洋の東西を問わず、また紀元前の昔から、悪いことは続いて起こる――少なくともそう感じられるのは、人類普遍の現象らしい】
ニュースでも、今までも、オリンピック開催時には、毎回いろいろな感染ウイルスとの闘いだったと、改めて取り上げられていて、なるほど~、そうだった、そうだったと、思い出した。
代々木公園などでも、蚊からの感染が次から次へと広がり、一時期、公園内は立ち入り禁止になったことがあったばかりだ。
”喉元過ぎれば熱さを忘れる”ということわざもあるように、人というものは、案外わすれっぽい生き物かもしれない。
人とウイルスとの長ぁーい、長―ィ 闘いの歴史があったように思う。そのたびに、犠牲者があって、その教訓から、いろいろなワクチンも開発されてきた歴史がある。永遠のテーマかもしれない・・とふと思った。ウイルスも、生き残りをかけて、知恵をつけ、さらに強力なウイルスへと変化する、ひょっとすると、未だ、人がであっていないウイルスがどこかに存在するのかもしれない。

人とウイルスの生存をかけた宿命なのかもしれない。そんなことを思う本日の花おばさんでした。^^
本日は、例の3人組で、聴きあう時間を持つ日。無事、みな帰宅できるよう、そして、健康でいられるよう、祈るばかりです。
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