新しい世界に飛び込んで、まるで初めて外の世界に冒険に出たばかりの、ぴよぴよヒヨコ状態。でも、いろんな人がいて、いろんな感性があって、わくわくしている。その人だからの感性に、感動? 共感? リスペクト? よくわからないが、素敵だと感じている。
男性的脳の働き、女性的脳の働きがあって、それが、文章・文体にも影響するのだろうか?まるで、まったく異なる表現・つぶやきであるが、どちらも、素敵なのだ。まったく今の私の文体とは違っているから、なお、素敵だと感じる。
一度も直接あったことはないけれど、今の私の表現の仕方・文体と非常に似ている書き方をする・男子がいるらしい。義理の母に、『うちの甥っ子がよく手紙をくれるんだけど、それが、まるで〇〇〇さんと、よく似ているの。まるで双子のようだ』と言って、彼の手紙を読んでくれたことがある。
その文面は、まるで私が感じたこと、気づきたこと、伝えたいこと、をまんま、そこに綴られていて、驚いたことがあった。今もどこかで、私が感じ、想い、つぶやいていることを、思い、日記や、手紙にしている男子がいると思うと、不思議な感じがする。
訪問するようになったばかりの・そのふたりのブログから見えてくるその人ならではの、感性、思考、とても惹かれている。女性的、男性的表現うんぬんを越えて、その人だからの言葉の表現、心のつぶやき、どれも愛おしい感じがする。
10代のころ、まったく自分の心のつぶやき、感じていること、外に出せなかった。苦しかった。だから、感性に響く言葉を探し続け、すでに世に出ているエッセイ、詩、文学をまるまるノートに書き留めていた。一番苦手な宿題は、読書感想文と日記だった。
20代は、専攻した経済、経営論ばかりの専門書をずっと読んでいたので、そのままのコピー表現しかできなかった。学術的なガチガチ・カチカチ文体しか、書けなかった。
そして、今、たぶん、20年くらいかかって(仕事や関わっているコミニティや、SGでの経験)、今の文体に落ち着いたようだ。理想とする文体。シンプル・イズ・ベスト。できるだけ簡略かつストレートに伝わる表現の仕方。
仕事は、できるだけ、最大限注意深く気づいたこと、今後の方向性、自分のできること、必要なサポートや、やれると思う考えの提案などなど、常にふりかえなければならないので、当分は、今のままの文章スタイルしかできないであろう。
けれど、憧れるのだ。シンプル・イズ・ベストな表現文体に。だから、時々、訪れたい。その人たちの感性に触れたいから。
雪解けしたばかりの、私の感性があふれ出している今日の・花おばさんです。
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