
今日、Xジェンダーコミニティでの投稿について、私なりの感想と意見をコメントしてきた。
私は、社会通念的、男らしい、女らしいという人を表面的なものさしで、はかられることも、人をはかることも両方ともあまり、・・というより全く好きではない。むしろ、嫌悪している派である。
肉体的、医学的なノーマルな男性、女性であっても、ハンサムウーマンはいるし、むしろ精神的な大人として生き方がかっこいい!とリスペクトするし、男性であっても、ぐちぐち、ぶちぶち、延々とぐじぐじとどうどうめぐりする立派な大人の男子を見ると、はっきりしろー!!!と、言いたくなるし、表面的なうわべで、評価する人を見ると、ごめんなさい。それだけの人なのね・としかみることができない。
私は、女性として生まれ、女性としての、一通りの人生をほぼ経験してきた中で、後天的に身につけたこと、暗黙のうちに、女性だから、やって当然という社会的通念常識に、無理やりその役割をせざるを得なかったことには、理不尽だと思うことも多々あった。
今現在、男だから、女だからに関係なく、ユニークは個性をもったひとりの大人として、息子たちとも、そして、仕事においても、そのXjジェンダーコミニティにおいても、友人たちとの交流や一緒に過ごす時間も、もうひとつのカウンセリング関係のコミニティや、フィールドワークにおいても、どうどうと生きている。恥じることは何ひとつない。
うそのない、ありのままでいられることを謳歌している。
思うのだ。誰かの創りあげた・時代や社会や宗教的価値観や、国の習慣における、誰かにとって都合の良い価値観、しかも個人的身に着けている感覚的なものさしのメモリで、はかられる必要もないし、自分で自分をがんじがらめに縛る事はないと、思っている。
まだまだ、日本では、この分野においての認知が浸透していないため、そのものさしによって、辛い思いをしている人たちがいることを、正しく知ってもらいたくて、このブログを立ち上げたのだ。
人と違うことは、何も悪いことではないはずだと思っている。生産性を効率よくあげるための社会的規範から外れてみれば、(メンタルヘルスのサバイバーの人たちに代表されるように、または、様々な障害を持っている人たちにとっても)同じ地球に生まれた命ある対等な存在だと思っている。
医学的ノーマルな方達とのブログ交流も楽しく参加させて頂いているが、Xジェンダーのみなさん、恵まれた状況にいらっしゃる方以上に、真剣に、真摯に、人生を懸命に生きていますから。そう、花おばさんは、感じている。
決して、ノーマルな状態にいらっしゃるみなさんが、そうでなないとは思ってはいない。人それぞれ、生きていく中で、生きにくさを感じ、効率よい生産性を保つ社会システムに、疲れている方もいらっしゃるし、そこから外れて、休息の時間に入られている方もいる。だれもが、一生懸命、自分と向き合って、生きていると思っている。命に優劣なんて、存在しないと考えている花おばさん。
今回のコメントに、不快感を感じられましたら、ごめんなさい。けれど、これが、いつわざる私なのです。これまでの投稿ブログから私の内面、どんな人物であるかは、多少なりとも感じられたと思います。
そして、どこかで、すれ違っても、たとえ、お会いする機会があったとしても、ごくごく常識的な年齢相応の女性としか感じられないと思います。今日は、投稿されたXジェンダーの方の身に起こった身内からの、男らしい、女らしいものさしに、少なからず傷ついたという内容に(きちんと、話され、理解してもらっていると思っていたけれど)、私自身、再刺激がおきてしまったので、やりきれなくて、自分のブログに、トロしました。
某番組でも、最近このテーマがよく取り上げられてきたことで、少しずつ、マイノリティカテゴライズされているこの分野の・社会認知が浸透し、時間はかかるだろうけれど、その存在が、あたりまえになる時がくるとよいなぁと願いをこめて、ブログ書き続けています。では、また。