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花おばさん

Author:花おばさん
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見た目も、医学的にも、ノーマル女性にしか見えない管理人。けれど、幼いころより、何故女子のはかわいいお嫁さん、ままごと遊びしかしてはだめなの?
桃太郎のお話の中の、しばかりにでかけるおじいさんになりたかった女の子でした。男は度胸、女は愛嬌の逆合言葉にしたかった管理人。やっと、最近、そんな肉体の性別と感覚の性別で揺れ動いている人達に出逢って、ほんとうの自分に出遭えた喜びを、止められない私がいます。こんな管理人ですが、どうぞ、よろしく。


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DATE: CATEGORY:物語から見えてくるジェンダー


◆紐解けば、すでにあったXジェンダーらしき存在を扱った作品があります。

ひとつは、漫画の神様と言われた手塚治さんの「りぼんの騎士」女の子の体に、男の子と女の子の心が同時にふたつ入ってしまった一人の少女の成長物語? 

もうひとつは、やはり、少年たちの揺れ動く様を描くことが得意な漫画家の竹宮恵子さんの、「イズアローン伝説」

片方は、女の子の体に、ひょんなことから、同時に 女の子の心と、男の子の心をもってしまったある王国の王子さま?そして、やがて、隣国の王子と恋におち、心も体もひとつの性を取り戻すお話だったかな?

そして、竹宮さんの作品で描かれているお話は、どちらか自分で性別を決めるまで、両性タイプとして生まれて来る架空の世界で、揺れ動く、少年たちを描いた物語です。

彼女は、比較的、よく少年の揺れ動く様を描くことが得意らしく、「風と木の詩」においても、男子寄宿舎で繰り広げられる思春期を迎えた多感な少年たちの心の機微を、さりげなく描いている作品で有名な漫画家さんです。

私は、この物語の斬新さに、今まで出会ったことのない世界観に魅了され、その魅力に吸い込まれてしまい、かなり何度も読み返していました。何故なら、自分は何者なんだろうと思い悩む彼の姿が、自分と重なったからです。まるる、自分を見ているようで、不思議な感覚を覚えたのです。

ただ、一点だけ違っていたのは、彼は、だんだん、女性としての自分を意識するようになり、いとこを愛していた自分に気がつくけれど、その思いを告白しようとしたときは、すでに、彼には一生を共にする伴侶を選んでしまった後だったため、彼の愛が自分に向けられることは絶対ないと知り、魔王としての意識に支配されそうになってもなお、いとこと彼の伴侶が生きている人の世界を守ろうとして、自分の意識を封印してしまう、はるか先の時代に希望を託して、まるごと、自分を愛し、受け止めてくれる運命の人と出会うために、長い時の旅に旅立っていく。そんなせつないお話でもあったのですが、今なら納得できるのですが、男性が女性を求め、女性が男性を求め、あるいは、L・G 同姓同士の愛の形もあることは知っているけれど、愛する・・・欲する・・・という意味合いがよくわからなかったのです。

親しみや、その人の人柄や人間性に、リスペクトできる感情は持ち合わせていても、あるいは、中性的な雰囲気 をかもし出している女子&男子に、目が釘付けになったことがある。もちろん恋愛感情に発展することはまるでなかったが、それでも、独特の世界観を持っている不思議の世界の人的、その人の空気感に、どんなことが好きなんだろう?何を食べてるのかなぁ~?何を読んでるの~?@@とか、知りたいと・お近づきになって、どんな声で話すのか聞いてみたい! 今にして思えば、それは、まるで、ストカーと間違われても仕方ないくらいの彼、彼女のことを知りターーーーい!ぐるぐるでした。笑

現実の世界では、まず、そんなどちらでもない感覚を持っている人・大人であっても、子供であっても、会うことが無かった中で、物語の中で生きている彼女、彼らの存在は、私と同じような不思議な感覚を持っているとても近い存在に感じられ、Xジェンダー仲間のように親近感がもて、目が覚めている起きている時間なのですが、いつも、彼らが側にいてくれているようなそんな子供時代を過ごしていました。

それが、私の初めての・男子 女子の境界線の間で揺れているXジェンダーとの出逢いだったのでしょう。今も懐かしく、思い出す花おばさんです。今日のアップは、そのイズアローン伝説の表紙です。では、また。
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DATE: CATEGORY:物語から見えてくるジェンダー
私たちが今日まで生き抜いてきた中で、ジェンダーという表現は、生まれ持った肉体的、医学的認識よりも、「社会的・文化的に形成された性別」と認識されているように、その時代や国や宗教観などなど、様々な社会的、文化的通念に大きく影響を受けているように感じられます。特に、韓国の代表的宗教の儒教的価値観や、明治時代徹底的に教育の現場で浸透していた良妻賢母の教えとか。目立たず、いつも控えめで、縁の下の力持ちで、みなが温和に、穏やかに、どんなことも、耐えて、家に尽くす的な役割を負わされていた時代の名残が、今も脈々と流れているように、感じます。それは、男子に対しても同じで、社会通念から受ける・男たるものうんぬん的ものさしに、翻弄され、苦しんでいる人たちがいるからです。

時代は、とっくに、先に進んでいるというのに。だって、多様性が大切スローガン、よく見かけますもの。現実と、理想のはざまで、
辛い思いをしなくても、違うこと、異質であっても、寛容さと多様性を許容できる社会になっていければいいのに・・と思う管理人です。

”男のくせに、女々しい!”とか、”女のくせに、生意気だ!”とか、女性を表現する言葉には、あまり良いイメージがなく、むしろ、勇ましいとか、勇敢だ!とかからの言葉には、男らしいというニュアンスがぷんぷん感じられる。

だから、管理人は、そういった類の言葉を耳にするたびに、気分が悪くなってしまいます。うへぇ~=△=;

繊細な男子が、女々しくて、何が悪いわけ?! 女子が、勇ましくて、男気があって、何が悪いの?!・・・

なぁ~んて、憤慨していた多感な少女時代がありました。けれど、それよりもっと前から、不思議でしようがなかったことがあって、けれど、周りの大人たちに尋ねても、言葉を濁し、きちんと説明してくれる人はいませんでした。むしろ、疑問に思うことを尋ねることを、いやがり、最後には、いつも決まって、「へりくつを言うな!男には、男の役目、女には、女のやるべき役目、役割があって、それは昔から、今も、そして未来永劫変わらないんだ」と一刀両断されてしまうことに、とても悲しく、自分という存在を、全否定されてしまったような孤独感にさいなまれていました。 

韓国歴史ドラマで、よく王様が新しいことをやろうとすると、頭がちがちの官僚が、”王様ー!国の根幹をゆるがす決定は、決して許されるものではありません”絶対に取り下げてください”抗議シーンを、つい思い出してしまいます。

昔話に登場する物語には、よくおじいさん、おばあさんが登場します。けれど、記憶をたどっても、活躍するのは、ほとんど、男子であり、おじいさんであり、おばあさんが主役になる話はあまり記憶にないのです。

舌きりすずめに登場するおばあさんは、とてもいじわるですしね。いやだなぁ~。女のイメージっているかどうかよくわからなくて、存在感があったとしても、あまり良くは書かれていないし、かっこよく活躍するおばあさんも、お姫様も、なかなか登場してくれません。

CMで話題の三太郎シリーズにも登場した花咲かじいさんは、最後に「枯れ木に花を咲かせましょう!」とっいって、ポチの遺灰を空に向ってまくと、そこには、木々の枝に美しい花が咲きました。めでたし、めでたし?

初めてその話を読んだとき、私は木登り大好き少女でしたから、ぜひ、その花咲きじいさんをやってみたかったのです。何故、おばあさんではだめなの? 木登りの得意なおばあさんだっていたっていいはずだし、昔一人くらいはいたはずだよ!・・と思っていたのです。

おじいさんだけが、木にのぼれるなんて、不公平だ!と憤慨していたのです。

また、桃太郎に登場する川の上流からももが流れる前の、おじいさんは、山へしばかりに行き、おばあさんは、川でお洗濯。そこへ、
どんぶらこ、どんぶらこ~と桃が流れて着ました・・・で始まる桃太郎のお話。

あれも、私は、絶対にしばかりに山へでかけるおじいさんの仕事をやってみたい!と思ったのです。実際に、いなかのおじいさんに頼んで、二宮金次郎並みに背中に下木(薪にする小枝)を背負って、風呂場焚口まで運んだときは、やったー!私にも、しばかりができるぞー!と喜んでいました。

とにかく、何故、おじいさんが山へしばかりに行く力仕事をすることが決まっていて、おばあさんがいつも、家事(洗濯やごはんの支度)ばかりしかないのか、子供心に、どうして、その逆の役割をしてはならないのか、まったくわかりませんでした。

だって、山へでかけていった方が、いろんな景色や、季節の変化も肌で感じられるし、様々な生き物にも出会えるチャンスが
たくさんあって、絶対そっちの方が楽しいのにな・・・てひとり思っていたのです。

そんなことを、いつも考えたり、思っていたりするのは、周りの子達の中で、私だけ。だから、ずっと、男の子になりたかった女の子は、随分と変わった存在だったと思います。それが、今にして思えば、私のXジェンダーライフの始まりだったのでしょう。

今日はこれでおしまい。花おばさん・Xジェンダー・自分史物語の続きは、また今度。( ̄^ ̄)ゞ

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